編集部より: Altezza Travelは数年にわたり、タンザニアの野生動物、絶滅危惧種、責任ある観光をテーマにしたブログを発信してきました。数か月前、私たちはこの取り組みを本格的なメディアへ発展させることを決めました。編集チームが最初のインタビュー相手について話し合ったとき、異論はありませんでした。ジェーン・グドールは、世界の環境保護運動において最も大きな影響を与えた人物の一人です。残念ながら、その計画が実現することはありませんでした。2025年10月1日、著名な動物行動学者であり、自然保護活動家、動物行動の専門家でもあった彼女が、米国各地での講演ツアー中にロサンゼルスで亡くなったことが発表されました。享年91でした。
1960年、ノートを手にタンザニアの森へ入るまで、動物には感情がなく、女性は野外科学研究の場にふさわしくないと広く考えられていました。ジェーン・グドールは、その見方が誤りであることを示しました。ゴンベ・ストリーム国立公園での数十年にわたるチンパンジー観察は、人間と動物世界の境界を曖昧にし、同時に彼女の歩みは深く根づいた固定観念を崩していきました。このAltezza Travelの特集では、彼女の発見、人々を動かす力、そして自然を守るという使命をたどります。
タンザニアの森から国連の演壇へ
ジェーン・グドールは、動物研究だけでなく、人類が自然の中でどのような位置にいるのかという理解そのものを変えた女性として歴史に名を刻みました。1960年、26歳だった彼女は大学の学位を持たず、チンパンジー観察を記録するためのノートだけを携えてタンザニアに到着しました。その研究を通じて、道具を作り、使い、感情を表し、互いを気遣い、それぞれ異なる個性や気質を持つのは人間だけではないことを、世界は知るようになりました。
学界の慣習に反し、ジェーン・グドールはチンパンジーに名前を付け、隣人や親しい友人について語るように彼らの暮らしを描写しました。当初、多くの科学者がこの手法を批判しました。しかし時を経て、彼女の発見は学術教科書にも取り入れられ、その観察方法は世界各地の研究プロジェクトの基盤となりました。
1965年、彼女はケンブリッジ大学で博士号を取得しました。やがてその活動は霊長類学を超え、自然保護や動物の権利へと広がっていきます。彼女はJane Goodall Instituteを設立し、国際的なRoots & Shoots運動を立ち上げました。この活動は、小学生から大学生までを対象とする環境教育の世界的なプラットフォームへと成長しました。
科学と自然保護への貢献は、大英帝国勲章をはじめ、タイラー賞、ユネスコ関連の賞など、数多くの国際的な栄誉によって称えられてきました。時を経て、グドール自身が一つの象徴となりました。科学は職業であるだけでなく、世界を変えうる使命でもあることを、彼女は示したのです。
彼女の歩みについては、当社の記事「ジェーン・グドールの驚くべき生涯と仕事」でも詳しく紹介しています。
地球の英雄であり、親愛なる友人
「今日、私たちは地球にとって真の英雄であり、何百万人もの人にとってのインスピレーションであり、親愛なる友人であった人物を失いました。ジェーン・グドールは、私たちの地球を守り、野生動物と彼らが暮らす生態系に声を与えることに人生を捧げました。タンザニアのチンパンジーに関する先駆的な研究は、私たちに最も近い親類がどのように生き、社会を築き、考えるのかについての理解を変えました。そして、私たちがチンパンジーやほかの類人猿だけでなく、すべての生命と深くつながっていることを思い起こさせてくれました」と、俳優レオナルド・ディカプリオは自身のソーシャルメディアに投稿しました。
彼によれば、グドールは数十年にわたり「尽きることのないエネルギー」で、希望、責任、そして一人ひとりが世界をより良く変えられるという信念を人々に伝えてきました。
「ジェーンへの最後のメッセージは、とても簡潔なものでした。『あなたは私の英雄です』。今度は私たち全員が、彼女の思いを引き継ぎ、私たちが共有する唯一の住まいを守っていかなければなりません」
ディカプリオと同じく、彼女も国連平和大使を務めました。二人はともに、気候変動への取り組みと自然保護を強く訴えてきました。2024年5月、野良犬と若いオオカミを描く映画『Howl』で、二人がエグゼクティブプロデューサーを務めることが発表されました。
グドールは、参加の理由を率直に語っています。
「もし人々が『Howl』を観て、犬とオオカミが共にやっていけること、オオカミが恐ろしく凶暴な生き物ではないことを知れば、希望を持てるかもしれません。オオカミのトロフィーハンティングや殺害、毒殺を止める希望があると信じられれば、人々は闘い続けるでしょうし、その闘いが何か良い結果につながるかもしれないという希望を持てるでしょう」
ジェーン・グドールは長年、映画には「それまで何も知らなかった動物に対する人々の見方を変える力がある」と考えていました。例として彼女がよく挙げていたのが、写真家であり最初の夫でもあったヒューゴ・ファン・ラヴィックがタンザニアで撮影したドキュメンタリー『Forest People: The Chimpanzees of Gombe』です。
「チンパンジーと一緒に過ごして2年がたった頃、私はケンブリッジ大学へ行くよう求められました。大学に通ったことがなかった私は、すべて間違っていると言われました。チンパンジーに個性や心、感情があると話してはいけない、名前を付けてはいけない、番号で呼ぶべきだ、と言われたのです」と、グドールはインタビューで振り返っています。
「それがすべてばかげていると教えてくれたのは、私の犬でした。私はその後も、チンパンジーをありのままに語り、書き続けました。けれど科学者たちの態度が変わったのは、ヒューゴの映画が公開され、各地で上映されるようになってからでした」
彼女の人生において重要な役割を果たしたのが、人類学者で考古学者のルイス・リーキーです。初期人類進化研究を代表する研究者の一人だったリーキーは、1957年にケニアでジェーンと出会いました。その後、新しい視点が画期的な発見につながると考え、タンザニアでのチンパンジー野外研究を彼女に託しました。この研究を記録するために写真家ヒューゴ・ファン・ラヴィックを招いたのもリーキーでした。
変化を促す力
ライオン研究における世界的な専門家の一人、クレイグ・パッカーは、ジェーン・グドールから直接多くを学んだとAltezza Travelに語りました。
「ジェーンは、並外れて鋭い観察者でした。1972年のある日、私はゴンベで彼女と一緒にヒヒの群れを観察しました。その時点で私は数か月にわたり彼らを観察しており、一頭一頭を個体として把握していました。それでもジェーンは、私なら決して気づかなかったであろう、動物同士の間で起きていることを指摘しました。彼女はヒヒの生活の複雑さについて、私の理解の水準を引き上げてくれました。その理解は、霊長類やライオンを研究するときだけでなく、ゾウのような知能の高いほかの種を何気なく観察するときにも、今なお私の土台になっています。彼女の研究は、動物行動学の分野全体にも同じような影響を与えました」と、パッカーは振り返ります。
「ジェーン・グドールは、野生動物の群れを自分の存在に慣れさせ、何年にもわたり毎日追跡した最初の人物でした。そのため、それまで誰も行ったことのない方法で、個体ごとの複雑な行動や社会生活を観察し、記述することができたのです」
こう語るのは、彼女の最も近しい同僚の一人であるアン・ピューシーです。ピューシーは長年、ゴンベのチンパンジー研究アーカイブ、その資料に基づく教育プログラム、そして継続中の野外研究への助言を統括してきました。
「チンパンジーが道具を作り、使用すること、驚くほど人間に似たコミュニケーションの身ぶりを持つこと、長く続く家族の絆、複雑な社会関係、そしてそれぞれ異なる個性を持つことを示した彼女の発見は、科学界に大きな衝撃を与え、人間の特異性に対する見方を根本から変えました」と、ピューシーは述べています。
ピューシーによれば、こうした研究を通じて、ジェーン・グドールはほかの研究者にも自らの観察方法を取り入れるよう促し、科学の世界で女性が道を切り開くための基盤づくりにも貢献しました。
1960年代の学界は、ほぼ完全に男性中心の世界だったと、霊長類学者ソフィア・ドロトフスカヤは言います。当初、グドールは「長い学術キャリアの階段を上ってきたのではなく、空から降ってきた」人物のように、軽く見られていました。
「しかし、ルイス・リーキーの見立ては正しかったのです。そのおかげで彼女は、一見当たり前に見える多くのことを、先入観なく見ることができました」とドロトフスカヤは指摘します。「成功の鍵は、慣習に従わない姿勢にありました。グドールは、硬直した理論ではなく、愛情、優しさ、共感を通じて動物に向き合った最初期の科学者の一人でした」
「ジェーンは、1986年に自身の優れた科学書『The Chimpanzees of Gombe』の出版を記念するチンパンジーの会議に出席した際に得た気づきについて、たびたび語っています。そこで彼女は、生息地の破壊とブッシュミート取引によって、アフリカのほかの地域のチンパンジーが深刻な状況に置かれていることを知りました。また、小型機でゴンベ上空を飛び、公園周辺の丘がすべて裸地化しているのを見て、大きな衝撃を受けました」と、アン・ピューシーは振り返ります。
この出来事の後、ジェーン・グドールは自らの名声と影響力を、世界中の動物を助けるために使う義務があると語るようになりました。彼女は、医療研究施設における霊長類の人道的な扱いを求めるキャンペーンを始め、密猟の影響を受けた孤児の動物たちを受け入れる保護施設を支援し、地域コミュニティとの保全パートナーシップの設立にも力を尽くしました。最初はゴンベ周辺で、のちにはウガンダやコンゴを含むアフリカのほかの地域へと活動は広がっていきました。
クレイグ・パッカーの回想より:
「1990年、オックスフォードのカレッジでハイテーブルの夕食を取っていたとき、ノーベル医学賞の受賞者が近づいてきて、彼の分野では今後、誰もチンパンジーを研究動物として使わないとジェーンに伝えてほしい、と私に頼みました」
ソフィア・ドロトフスカヤは、グドールを「環境運動のスーパースター」と呼びます。自然保護や動物保護に関心のない人でさえ、彼女のことを知っています。「ジェーン・グドールは、罪悪感ではなく希望の立場からこの問題に向き合いました。彼女は『すべてがこんなに悪い状況だ』とは言いませんでした。どうすれば物事をより良くできるのかを語ったのです」
「子どもたちに残すことを恥じずにすむ世界」
ジェーン・グドールは10月1日、カリフォルニアで亡くなりました。翌日、彼女は子どもたちに向けて講演する予定でした。主催者はその集まりを中止せず、イベントの少し前に彼女が録画していたビデオメッセージを子どもたちに上映しました。
「大切なのは、この地球上で、私たちは毎日何かしらの違いを生み出しているのだと理解することだと思います。自分が日々行う小さな選択の結果について考え始めることです。何を買うのか。それはどこから来たのか。どのように作られたのか。児童の奴隷労働が関わっていなかったか。環境に役立ったのか。動物への残酷な扱いが伴っていたら、それを食べるだろうか。そう考えるようになり、世界中の何百万人もの人が同じように考えるようになれば、私たちは、子どもたちに残すことを恥じずにすむ世界へと近づき始めるのです」
これらは、ジェーン・グドールが残した最後の言葉の一部でした。
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